弟が大金を稼いだので、なにに使うかと思ったら
岸田家の歴史を揺るがす大事件が起きた。
わが弟が、莫大なお金を稼いだのである。
大金とは、彼が三十年働いて手にするはずの金額だ。
それを数時間で。
田舎の片隅にある剥がれたフローリングの我が家から、絶世の富豪が爆誕した。血統書のない梅吉(犬)も、高貴なチャウチャウに見えてくる。
弟は生まれつきダウン症なので、障害のある人が集まる福祉作業所で、平日の朝から夕方まで働いており、日給は500円だけど昼食が450円なので、手取りは50円だということは、一旦、横に置いておく。
富豪が爆誕したのだ。
(※賃金は弟の障害の程度、作業所が受注できる業務の量、通っている人数などの兼ね合いがあり、弟も働くというよりは、みんなで喋ったり、散歩したりすることをなによりの目的にして通ってるので、ゆるく受け入れてくださる福祉作業所のみなさまにとても感謝しています)
さて、その気になる稼ぎ方であるが。
手書きカレンダー職人だ!!!!!!!!!
文字を書けなかったはずの弟が、わたしが出す本のために、ノンブル文字を練習して書いてくれたことは、以前のnoteで自慢させてもろた。
これを見た、とある会社さん(後述)から
「良太さんに、カレンダーを書いてもらいたいです」
と依頼があったのだ。たまげた。契約書を見せてもらうその日まで、こんなに美味い話があるだろうかと、わたしと母は疑った。
「仕事の受注には、まず弊社が運営しているカレンダープロフェッショナルアカデミー(入会金50万円、月謝5万円)に二年間通ってもらい、練習生としてオーディションに挑戦してください」
などと言われてもおかしくないくらい、美味しい話である。
「良太、お仕事、やってみる?」
「んー、ほな、ええで」
弟は答えた。
すでに職人の貫禄があった。
カレンダー職人の朝は早い。
たらふく朝ごはんをたいらげ、腹を出してソファに寝っ転がったあと、ようやく取りかかる。
左に数字の見本を置き、職人はそれをていねいに書き写す。
「のどかわいた」
職人が言うので、わたしのとっておきである100%ストレートりんごジュースを渋々、提供した。
ノンブル文字は、0から9までの文字を4種類ほど書くだけだったが、今回はカレンダーなので、1から31までの文字を12種類も書かなければならない。
つまり、372文字。
職人の集中力は短い。
空気を読まない犬がきても、ふつうに撫でる。犬がこなくても、10分くらい書いたら、10分の休憩を挟む。
ちなみに、10分で進むのは、10文字くらいである。
職人……手を……手を動かしてください!!!!!
しかも、今回はカレンダーだ。
数字だけではなく、月曜から金曜までの漢字も、職人は見様見真似で習得する。25歳にしてはじめて習う、漢字。
カレンダーの枠も。これは難しいぞ。
1時間後。
なんとか半分ほど書いた職人の手は、完全に沈黙した。飽きあそばされたのだ。
「あとは明日やね。おつかれさま!なんか、いるもんある?」
せめて今夜は、職人の好物でもご馳走しようと思った。
「おんせん」
「え?」
「おんせん」
温泉にきた。
きっと職人の手は、わたしには想像もできないくらいの疲労に見舞われたのだろう。温泉で癒やさねばならない。かの森鴎外も、湯治に頼ったのだ。
わたしは旅館でクレジットカードを差し出しながら、自分に言い聞かせる。
職人の喉は乾きやすい。
湯上がりにずっと、ごくごくとジュースを飲んでいた。
三杯目のおかわりをしに行くのを見て、このまま酔っ払いあそばされるのではないかと思い。
褒めて、褒めて、盛り上げることにした。
「職人!お上手です!今日は筆が乗ってます!あーッ、斬新なトメ&ハライ、しびれるゥ!」
筆の遅い文豪をたきつける、昭和の編集者か。
まんざらでもない顔で書き進めていた職人だが
このように目を細めると、筆が止まる。いったいなにを見ているのであろうか。凡人にはわからない。
ってか、なんかノリで手伝ってしもうたけど、なぜわたしが自腹で温泉代を払ってまで、中間管理職を勤めねばならんのだ。いっちょ噛みお姉ちゃんか。
ともかく、夜更けに、すべてのカレンダー素材が完成した。職人もこの達成感だ。ヤッタ〜〜!姉は早く眠りてェ〜〜!
そして。
なんとまあ立派な、ほぼ日手帳になった。
「365にち」というタイトルで。
ほぼ日のディレクターさんが書いてくださった紹介文が嬉しすぎるので、ぜひ、見に行ってほしい。
ロフトや東急ハンズでも売ってます。たくさん売れて、増刷になると、弟にボーナス(追加印税)が入るので買ってください。
売り切れで買えなかったみなさん、安心してください。4月始まり版が冬に発売されます。
弟に完成品を渡すと、
「ぼくの〜〜〜!?マジで!?!?!?!」
とびっくりしていた。マジだよ。姉ちゃんは10冊買ったよ。同じ手帳を10冊買うなんて奇行、初めてだよ。
ここからが本題。
そういうわけで、職人は、三十年分の給与にあたるお金を手に入れた。
母は言った。
「どうしよう。これは一応、貯金しておいて……」
わたしは言った。
「いや、職人が稼いだお金やねんから、職人に渡して、好きに使ってもらおう」
母は驚愕した。
「そんなん、良太はお金の価値をようわかってないんやから、あぶないって」
「お金の価値は使ってみな、わからんねん!」
わたしだって、子どものとき、大切に貯めたお年玉を『ゲームキューブが当たる!1000円くじ』で全額スッたときに、ゲロを吐くほど泣きながら、お金の価値を知った。
「でも、誰かに騙されたり、盗られたりしたら……」
「人生で一度くらいはな、落とした金をネコババされたり、貸した金を返してもらえんかったりしてナンボやねん!」
「ええ……」
「痛い目にあうっちゅーことは、強くなるっちゅーことや。その機会をな、奪ったらあかんと思うねん」
めちゃくちゃな理論である。
わたしはただ、弟がどうやってお金を使うのかを、おもしろがってるだけなのに。
勢いだけはある娘の持論に、常識のある母はたじろいだ。口から出任せを放つことにおいては、父ゆずりの才能がある。
「もしそれでお金に困ったら、わたしがなんとかしたる!」
結局、とりあえず3分の2は、将来なにかあったときのためとして弟の口座に納め、残りを弟にわたすことにした。それでも大金だった。
受け渡し方法は
ICOCA(交通系ICカード)にした。
姉は知っていた。
弟が、ICOCAにただならぬ憧れをいだいていることを。
弟がいま手首につけている中国製格安スマートウォッチは、彼が誕生日にほしがったものだが、実は「姉がつけているApple Watchみたいに、コンビニでピッてかざして決済したい」という願いだったようだ。あとから知った。ごめん、あんたの時計じゃ、ピッて決済はできんのよ。
このICOCAにまず2万円をドカンとチャージして、弟にわたした。
弟は、しばらく目を閉じた。
「ありがとう……ありがとう……」
ちょっと、こう、見たことがない種類のおごそかな喜びだった。
最寄りのマクドとローソンで使い方を教えたのだが、光の速さでピッとした。
ふだんから、よほどICOCAにあこがれていたみたいだ。そうやんな。いつも、200円とか300円とかしか、持ってないもんな。これ、かっこいいやんな。
「それで好きなもん、買うてええねんで!」
「ええの?」
「あんたががんばって稼いだ、お金や」
「ええの?」
「せやけど、ちゃんと考えるんやで」
母は最後まで、ハラハラした顔をしていた。弟には、ちゃんと伝わっているだろうか。でも、大切に使うかどうかも、決めるのは彼である。
わたしの予想では、弟は、たぶん、ゲームを買うだろうと思った。
これは、弟がかんたんスマホでわたしに送ってくる、メッセージだ。
こんなんが、毎日、毎朝、毎晩、送られてくる。どんだけほしいんや。クリスマス前のサンタより需要過多になっている。
たぶん、スイッチを買うはずだろうと。
思っていたのだが。
弟のはじめての買い物は、スイッチではなかった。
弟がICOCAを手にした翌日、母は朝から体調が悪く、寝込んでいた。
福祉作業所から帰ってきた弟の手には。
冷え切った、マクドのベーコンエッグマックマフィン。
朝にしか販売していないメニューを、なぜ夕方に。いや、一人で歩いて買いに行ったんもびっくりやけど。
福祉作業所の人に連絡してみると
「お母さんの体調が悪いからって、朝の休憩時間に買ってこられたんです。ご自分のハンバーガーとコーラのセットは、お昼に食べられました」
これが、弟のはじめての買い物だった。彼が大好きなマクド。
母は涙目になった。
「ありがとうねえ、優しいねえ」
そう言いながら、青紫色の顔でマフィンをかじったが、まあ普通に病人なのでそれ以上、食べられなかった。姉がぜんぶ食べた。
翌々日。
元気になった母が車を運転し、家族で買い物に行った。
「夜ご飯どうする?」
「なんか買ってかえろか」
そういうわたしと母に、弟が口を挟んだ。
「マクド」
「えーっ、また?」
弟は、ポケットからICOCAを取り出した。
「マクド、ぼく、おかね!」
母の運転するボルボが、マクドのドライブスルーにすべりこんだ。
こういう場合、大抵、運転席の窓をあけて、お金や商品を受け取ると思うのだが。
意気揚々と後部座席で停車したので、店員さんも戸惑っていた。
なぜなら、うちの大富豪は後部座席に乗っているからである。
「良太、ええで。お姉ちゃんが払うで」
「ええねん、ええねん」
もうこれは三十回以上の飲み会で、部下におごってきた課長の雰囲気だ。弟は職人であり、課長であったのだ。
「良太、ありがとう!ごちそうさま!」
「ええねん」
おわかりだろうか。顔をほころばせている。弟がこういう顔で笑うのは、けっこうめずらしい。かなり上機嫌な時の顔だ。
そして弟は、ICOCAが使える店のマークを覚えても、何日経っても、ゲームを買わなかった。
すきあらば、家族にマクドをおごろうと、しれくれるのだった。
そのとき、わたしははじめて気づいた。
弟は、自分で自由に使えるお金や、ICカードがほしかったわけではない。
だれかのために、お金を使いたかったのか。
だれかのためにお金を使うことに、ずっと、ずっと憧れていたのか。
元来、ケチなわたしは忘れていた。人におごることの嬉しさを。他人の金で食うステーキは美味ェなんて神保町で叫ぶ、堕落した大人に成り下がっている場合ではない。
愛する人に、喜んでもらいたい。役に立ちたい。お腹いっぱいになってる姿を見たい。安心して笑っていてもらいたい。
そのために、われわれは働いていたのではなかったか。
汗水たらしてゲットした初任給で、家族にラーメンをおごった日のことを、思い出せ。岸田奈美。
弟は、25年間も待ちわびた、その喜びを噛み締めている。人が働くことの意味を、人がお金を得ることの意味を。その自由さも不自由さも、すべて。
誰に、教えてもらったわけでもないのにね。
お金をうまく稼ぐ才能がなくても、お金をうまく使える才能のほうが、よっぽど人を幸せにするのかもね。
家族だけじゃなくて、一緒に働く人たちや、働けない人たちにも、きっと彼は楽しんでお金を使っていくのだと思う。
予想だにしなかったそんな経験をくれた、ほぼ日のみなさん。弟に声をかけてくださって、ありがとうございます。
数日後、弟があまりにもマクドに通うことが我が家で問題視された。
「自分が美味いと思うもんは、他人も美味いと思う」
と信じて疑わない彼だと思っていたが、もしかしたら、マクドを食らう口実として、お土産にしているのかもしれない。
年末にせまる弟の健康診断や、そのへんの人におごりまくる不審なあしながおじさんになるリスクを鑑みて、岸田家では
「ICOCAを持っていくときは母に言う。なにに使ったは一緒に確認する」
というルールが組み込まれた。しゃーない。
あと、スイッチは11月の弟の誕生日に、姉が買うことになった。なんでや。
↓宣伝ですが、10月15日にわたしのエッセイ新刊が発売されました。
ページ番号を弟が書いてくれました。
でも、みなさんが、大切な人にお金を好きなだけ使ってくださるのが一番です。
追記:文字職人募集中
以下、今のところ最大の割合で家計を支えてくださってる、キナリ★マガジン読者さん向けの極小すぎるおまけ。
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