「傘のさし方がわからない」という母
10月15日(金) 発売の新作『傘のさし方がわからない』に収録した「はじめに」を、横書きで読みやすいよう少々の修正を加えて公開してます。
わたしがみなさんにたずねたいのは、傘のさし方がわからん大人なんて、おると思うか?ということである。
その日は、朝から雨だった。
すんごい雨だった。
どこのもんともわからないタオルケットが、ビショビショのグシュグシュで風に舞っているのが窓から見える。今からわたしもあれになるのかと思うと、外へ出たくないにもほどがある。
ハメハメハ大王が治める国ならば雨が降ったらお休みだが、悲しいことにまだハメハメハ大王は実権を握っていないので、わたしは仕事に行かなければならない。
「行くで」
だらだらと身支度をして、ぎりぎりまで粘って、雨がそう簡単に止まないことを悟ったあと、母を振り返った。
母は、わたしと同じ表情をしていた。苦いなァ。
親子でとあるラジオ番組からお招きを受けたので、母も行かなければならないのだ。濡れば、もろとも。
玄関を出て、エレベーターで降り、エントランスから野ざらしの駐車場へ向かうと、わたしだけが傘をさす。
母は、いつものように真っ赤なレインコートを着ている。
初めて見たとき
「赤いレインコートで、赤い車いすって、火の車やん!」
と、べつにうまくないことを言って笑ったら
「家計も火の車やで」
と、母が笑い返したので、それが事実と知ると笑いが立ち消えたっけな。
駐車場まであと半分ということろまで来て、ふと立ち止まる。
「スマホ持ってきたっけ……?」
ポケットにはない。リュックの中かもと思うが、片手でうまくフタが開けられない。「ちょっと持ってて」と母に傘を預けた。少し濡れてしまうが、仕方ない。
「あったわ」
リュックの底でスマホの手触りを確認し、傘を受け取ろうと、母の方を見る。
母は、忽然と姿を消していた。
頭のなかで、録画したVHSテープが擦り切れるほど聞いた、傑作ミステリー『TRICK』のオープニングテーマが鳴る。テレレンレ、レンレ、レンレ、レンレ、レンレ、テレレレン……♪
「あかん、あかん、あかんて」
母の声がした。
両手で持った傘に引っ張られるようにして、母の車いすが勝手に動いていた。強い雨風を傘の内側でまともに受け、そこそこのスピードで走り去っていくさまはまるでウインドサーフィンのようだ。
いや言うてる場合か!
「あかんて、あかんて」
必死で追いかけ、車いすのハンドルを掴み、事なきを得た。二人とも一瞬で、ビショビショのグシュグシュになってしまった。
「傘さすんがそんなに下手なこと、ある?」
「傘のさし方がわからへんねんてば」
傘のさし方がわからない大人なんて、いるだろうか?
てっきり母の冗談だと思って、その場はオチに笑っただけで、二人でさっさと車に乗り込んだ。
傘のさし方がわからない。
どうにもこの嘆きには妙なインパクトがあって、ラジオでぺらぺらと喋っている間も、何度か頭のなかをよぎった。
帰りの車内で、母にたずねなおした。
すると母は、こう言った。
「車いすに乗るようになってから、片手でなにか持ちながら歩くっていうのが下手やねん。傘なんて持ったら、よろけてしまう」
人は、一度自転車の乗り方を覚えると、十数年乗らなかったとしても、そうそう忘れない。
泳ぎもそうだ。ペダルを踏んだとき、水をかいたとき、どうやって重心を移動するかというバランス感覚は、それくらい身体にじっくり染みつく。
母は歩けなくなったせいで、身体のバランス感覚がすべて崩れてしまった。
おへそから下の感覚を失う前と、後では、まったく別の身体みたいだという。
おもむろに、そわたしは傘をさしてみる。
どっちから風が吹いているか。傾けてみるか。肩に芯棒を乗っけてみるか。言われてみれば人間は、意外とこまかなバランスをとりながら、傘をさしていることがわかった。
そんなわたしを見て、母は言った。
「まあ、わからんくても別にええねん」
「そうなん?」
「レインコートあるし、いざとなったらこれもできるし」
母が両手で傘をしっかりと持つ。わたしがその傘の中に入るようにして、腰をかがめながら車いすを後ろから押す。はァ、なるほど。
ただ、傘は前後に人が並ぶようには明らかに作られていなくて、母の靴と、わたしのリュックサックがビショビショのグシュグシュになった。
「かわいい傘が売ってるの見つけたら、たまに寂しくなるけど。もう慣れたから、ええねん」
わたしはなにも言わなかったが、母の片手を見ながら、思い出していた。
まだ幼稚園に通っていた時のことである。
甘えたのアカンタレだったわたしは、母が障害のある弟ばかりを気にかけていたことに腹を立て、自分が道転んだのをきっかけに、泣きわめいた。
おどろいた母は「ごめんね」と何度もわたしに謝り、手をつないで歩いてくれた。
次の日も、その次の日も。弟のことがどれだけ大変であっても、母は手をつないでくれた。
あのぬくもりがあったから、いまのわたしがある。
下半身の感覚を失くした、今の母は、誰かと手をつないで歩けない。
それもいつしか、慣れたんだろう。たまに寂しく思いながらも、きっともう慣れたんだろう。わたしは大人になってからも余所見ばっかりでよくスッ転んでいるけれど。
できていたものが、できなくなる悲しさと。できなくなったから、できるようになった嬉しさと。
母とわたしが得たであろうものに、思いを馳せる。
わたしの書籍一作目「家族だから愛したんじゃなくて、愛したのが家族だった」では、題名の通り、わたしはわたしの家族や、目の前で見たままの愛について書くことが多かった。
だけど、物事を正面から見たままでは、気づけないこともある。
側面や背面に、誰かの優しさや悲しさが隠れていて、それに気づけるかどうかで、目の前に広がる物語の姿形が変わる。思わぬ偶然が訪れたり、気が遠くなるような時間が経ったりしたせいで、わたしは幸運にも、誰かから何かを受け取ることができた。
未曾有の感染病で世界中がえらいことになっている時に手繰り寄せた幸運の一片を、あなたにおすそわけするのが使命だと思い込み、なんとかかんとか書き連ねてきたのが新作「傘のさし方がわからない」だ。
傘のさし方が、わからない。
これまで何気なく見ていた景色が、ギュッと愛しくなる一言を、見逃さないように。
このまえがきから始まる本が、発売になりました。
収録エッセイ(△印=有料マガジンで、限定公開していた作品)
・全財産を使って外車を買った
・歩いてたら30分で6人から「ケーキ屋知りませんか?」ってたずねられた
・スズメバチを食べたルンバ
△深夜、タクシーで組織から逃げる
・24歳の弟は、字が書けない(はずだった、怪文書を読むまでは)
・わたしがほしかった、遺書のはなし
△ワクチンを打ったわたし、心臓を止めない薬
・いい部屋とは、暮らす人と見守る人の愛しさが重なりあっている
・弟が一人で美容室に行ってて、姉は腰を抜かした
△東京は火の用心、恋用心
・銀河鉄道と三匹の夜
・寿司屋でスマホが割れてたから
・優しい人が好きだけど、人に優しくされるのがおそろしい
△長所と短所は背中合わせだから、光彦の幸せを願う
・救いは、人それぞれ、みにくい形をしている
△サンダルを手放す日
△30年後、きみのいない世界で
・私が未来永劫大切にする、たった一つの花束
・思い込みの呪いと、4000字の魔法
購入くださった全員に、無料(往復送料のみ負担)でお名前とサインを入れるサービスもはじめました。
下記の書店さんでは、あらかじめわたしが書いて納品したサイン本を購入できます。
すてきなイラストを書いてくださり、ヘッダー・本文での使用を快諾してくださったのは水縞アヤさんです。