カーシェアを借りただけで知らん寺に着いた
深夜2時をまわった。
本来なら、23時には床に就けるはずだった。無印良品で手に入れて、替えたばかりの「あたたかファイバーベロアボックスシーツ」に冷え性の手足を包んで、良い夢を見ているはずだった。
なぜ深夜2時をまわったのか。わたしがさっきまで、京都の山奥の名前すらわからん寺にいたからである。
今日は弟が京都の自宅へ来ることになっていた。
わたしは夜まで仕事があったので、その間に母が例のボルボに弟を積載して、神戸から京都までドナドナしてくれるはずだった。
しかし、早朝から母は母で、休職と退職を経てからはじめて人前でぺらりぺらりと話す仕事があり、それが終わるなり電池の抜けたファービーのように転がっていた。
「一歩も動けん」
あんたはもとから足が動かんでしょうがというツッコミは、弊家ではすでに過ぎ去ったブームなので、黙ってわたしが弟を迎えに行くことにした。
それにしても深夜である。京都から実家までは電車で2時間。車なら1時間20分くらいにはなるので、運転免許を持っている知人にお願いして、雑談がてら運転してくれることに。
うちの近所には、カーシェアリング(カーシェア)という仕組みがある。
そんなハイカラなもんは存在しないわが地元・神戸市北区藤原台に住まう者たちのためにわざわざ説明すると、無人の駐車場に置いてある車を、ネットから予約&クレジットカードで支払っておくだけで、簡単に借りて乗ることができる仕組みだ。
レンタカーみたいに係員とのやりとりもなく、残りガソリンにある程度余裕があれば給油して返す必要もない。サッと乗って、サッと返せる。
知人にカーシェアを借りてもらい、知人に運転をしてもらった。教習所に二度も落第し、運転免許のほか、社会で役に立つことを証明できる資格をなにひとつ持っていないわたしは、助手席に冷えた尻をデデンと預けるのみ。
夜も更ける名神高速で、運転手が眠くならないよう、福山芳樹の「真赤な誓い」を爆唱するなどした。
無事に神戸へ到着し、弟を後部座席に積載した。
「カーシェア、返す時間って何時だっけ?」
「普通に戻ったら1時間くらい余裕あるで」
「渋滞しとる?」
「してない」
カーシェアというのは、予備のあるレンタカーと違う。一台の車を、係員なしで数人の利用者がシェアすしているので、後に他人の予約がある状態で返却が送れると大変な迷惑をかけてしまう。
ただし余裕があるなら、深夜のサービスエリアを満喫するほかない。
弟は、巻き寿司とキンパを悩みに悩む、日韓代表寿司戦を繰り広げていた。
20分ほど買い物をして、京都へ向かって出発。
先に、小さな異変に気づいたのは知人だった。
「あれ?こんな出入り口、通ってきたっけ?」
車のナビの案内にそって、高速道路を京都付近で降りたのだが、料金所の先に見覚えのない景色が広がる。
ナビは合っている。
カーシェアの車のナビは、基本的に「自宅(登録地)」が出発&返却場所=駐車場になっている。
ダッシュボードの説明書にも「“自宅へ戻る”ボタンを押し、返却地へお戻りください」と書いてある。そのナビが、この出入り口を指示しているのだ。
「もしかしたらこっちの方が早いんかな」
軽く考えながら、われわれは北上した。
わたしは京都に引っ越してまだ半年ほどで、車を運転した経験はない。弟はあらぬ方向へ首を折り曲げながら爆睡している。知人は土地勘がない。
「なんか不安な気がするけど、京都は一方通行とかややこしいし、ナビを信じたら大丈夫やろ」
そして、ぐんぐん北上した。
これが間違いだった。あれれと思った時点で、ナビを疑うべきだった。これがわたしと江戸川コナンのIQの差。
トンネルを抜ければ、そこは小山の上にそびえる寺だった。
なぜ。
「寺やん」
「寺やな」
京都はいま紅葉のハイシーズン。連日、観光客が押し寄せ、紅に染まる美しい寺や神社は賑わっている。
ここへきて、ライトアップどころか、一切の街灯すら点いていない寺。闇である。闇の寺にたどり着いてしまった。
ポーンッ ♪
「目的地に到着しました。車を返却してください」
寺に?
奉納か?
どう見ても出発地ではない。たぬきにでも化かされたのか。もしくは“なにか”に呼ばれてしまったのか。2ちゃんねる全盛期ならそこそこ盛り上がるスレが立ってしまう。
ナビを操作して設定を見た。
どうやら前に使っていたどこぞの運転者が、わざわざ「自宅」の設定を、駐車場から、寺に変更していた。おい誰だ!なんてことしてくれてんだ、ちくしょう!
「やばいやばい、入れなおせ!」
「えっ、どこやった?駐車場どこやった?」
返却時間まであと30分。
静まり返る寺であわてふためきながら、元の駐車場の住所を探し、夜の京都を走った。なんとか返却時間に間に合ったのだ。
走っている途中でナビを疑わなかったわれわれも、われわれだが、どこのどいつだこんなド迷惑なことをした馬鹿者は。時間ギリギリまで乗車していたら、寺から引き返すのも間に合わず、最悪な状況になってたぞ。
次に使う人が、激おこで待ち構えるなか
「すみません……なんか気づいたら寺にいまして」
と頓珍漢な説明を半泣きでするところだった。
駐車場から家に帰るまで、わたしは「ゆるさねえ」「犯人の自宅を寺にしてやる」と恨みつらみを大人気なく並べていたのだが、知人が言った。
「わざとじゃないんちゃう?」
「えーっ、だって寺やで?わざわざデータ消して、寺を入れるか?」
「機械に詳しくない、おじちゃんとか、おばちゃんやったんちゃう。んで、目的地に寺を入れて、操作を間違えて自宅に上書きしちゃったとか」
なるほど。
クレバーな人間は、発想もクレバーである。途端に自分が狂犬のような存在に思えて恥ずかしくなった。トム&ジェリーに出てくるあの犬のビジュアルが浮かんだ。
帰ってから、車の予約履歴を確認してみた。わたしたちの前に乗っていた人の予約は、日曜のお昼間だった。
寺の名前を検索する。
いわゆる超有名な観光スポットではないが、お昼間はさりげなく美しい紅葉がお堂近くに広がっていた。慣れないナビを操作した彼だか彼女だかは、その景色を楽しめただろうか。
登録地の修正方法がわからなかったので、狂犬はサポートセンターに電話をした。
「さっきお借りした車なんですけど、ナビの返却地が寺になってました」
「……はい?」
電話口から、たぬきに化かされたような声が聞こえた。