【キナリ★マガジン更新】グッバイ、祖母の運命の家はウチじゃない(中編)
認知症がはじまったばあちゃんと、5年かけて離れる話。前編はこちら。
ばあちゃん、そろそろやばいかも。とはいえ、今のままでもなんとかなってる。
目隠しをした状態でギリギリの綱渡りをしながら「とりあえず今は足の裏に綱の感触あるから大丈夫!」と己を騙していた岸田家のフォーメーションが、崩壊する事件が起きた。
2021年2月。
母が、感染性心内膜炎で倒れた。
これはかなりやばめの病気かつ、やばめの容態だった。
今日、全然違う仕事の件でどえらい心臓外科医の先生と打ち合わせする機会があったけど、大動脈解離と感染性心内膜炎を立て続けに起こした母の話を聞いて
「それは……本当に偶然、生き残られた、ってことですね……」
と半ば、絶句していた。心臓の難しい話はよくわからんが、ともかく、それぐらい致命的な状況にて、致命傷で済んだというわけである。
当時の切羽詰まった状況は、『もうあかんわ日記』として書いていた。いま読みなおすと、情緒がバトルドームのようにとっ散らかっとるな。
手術は無事に終わったけど、母は2ヶ月の入院が必要になった。感染症対策で面談は一切できない。
当時、東京に住んでいたわたしは、裸の大将みたいなリュックサックに荷物を詰め込み、神戸の実家へ戻って家事をすることになった。
まず、ばあちゃんの様子がグッと悪くなっているのがショックだった。
外気温が0度になることもある町なので、リビングではエアコンをフル稼働してるんだけど
「クーラーなんかつけるな!寒い!」
と、鬼の形相でクーラーをにらみ、電源を落とす。なにを言うてるのかわからんかった。
「いや、エアコンやで。あったかくしてるねん、ほら!」
ばあちゃんをエアコンの風が当たるところへ連れていくが、ばあちゃんは聞く耳を持たない。どうやら、暑いとか、寒いとかの感覚がドカンと鈍くなっているらしい。
エアコンから出てくる風を、冷気だと思っているらしかった。
「これ消したら、寒くて死んでまうって」
多少、オーバーに言ってみたら、ばあちゃんは一度引き下がる。そして、5分後にはすべてを忘れてまたエアコンに文句を言う。
わたしはリビングのソファで犬の梅吉と寝ているのだが、寝ているときに、ばあちゃんがエアコンを消したことがあった。
ガクガク震えが止まらなくなって、何事かと明け方に目を覚ましたら、室内温度が5度になっていた。
いや、ほんまに死ぬて。
わたしのパジャマの内側に、梅吉が全身をねじ込んで、ビッタビタにくっついていた。
獅子身中の虫、という言葉が頭をよぎる。
その晩からリモコンを隠して寝るようになったら、ばあちゃんが深夜、二時間おきにトイレへと起きてきたついでに「リモコンはどこや!」とわたしを叩き起こして、問い詰めるようになった。
二時間おき、というのは、二時間眠れるわけではないのだとはじめて知った。寝た気がしない。寝ついたと思ったら、また起こされる。絶望。
ばあちゃんは、寝る時間がなぜかどんどん早くなっていった。
18時に飯を食って、19時にはもう床につく。
わたしは仕事と家事と母の入院先への物資配達をしていたので、どうしても多少は生活が不規則になってしまう。
ご飯を作るのが、18時半になったり、19時になったり。
少しでも遅れたら、オンライン会議中だろうがなんだろうが、構わず部屋へ突撃してきて「ご飯はまだか!」と言い、家中をうろうろし始めた。
ご飯なら作れば済むのだが、問題は、寝る時間だ。
19時になると、家中の電気がばあちゃんによって真っ暗にされる。
「はよ寝なさい!不良!」
ばあちゃんに叱られて、わたしと弟は蜘蛛の子を散らしたように布団へと追いやられる。
ばあちゃんは、わたしと弟のことをまだ学生だと思っているので、夜中にパソコンやタブレットを開いているのは、いやらしい不良だと思っているみたいだった。どんな不良や。
「俺達ァ、健康優良不良少年だぜ!」というAKIRAの名台詞で返したこともあったが、もちろん反応などまるでなく、ただただなけなしのユーモアが虚空に舞って散りゆくだけだった。
仕方なく、わたしと弟は布団を頭までかぶって、ばあちゃんが寝るまでやり過ごした。でも、弟はそのまま寝入ってしまうこともあって、そうなると弟は深夜に目が覚め、腹が減って冷凍チャーハンを食べ、また明け方に眠って福祉作業所に行けなくなる、という流れで生活リズムが崩壊した。
そうだ。
わたしが、ばあちゃんのことで福祉を頼ろう、と思いきったのは、弟があまりにかわいそうに思えたからだった。
ばあちゃんの言葉が、日に日に荒ぶっていくのだった。
きっかけは、弟が靴下を片方履いてないとか、ご飯を食べるのが遅いとか、そういうちょっとした弟の行動なのだが、ばあちゃんは
「良太、あんたはもうなにしてもあかんわ。知恵遅れや」
「あーあ!そんなに悪い子はもう家を出ていきなさい」
「なんにもできへん、なんにも言うこと聞かへん。あかんたれ」
書いてて悔しくなってきた。ずっと、ずっとこればっかりだ。弟はダウン症なので、そりゃおっとりしてるし、うまくできないこともあるし、不思議なこだわりもある。
でも、わたしよりずっと几帳面で、しっかりしている。マイペースに、楽しく生きる才能がある。
わたしはばあちゃんに言い返せるし、無視もできるが、弟はできない。言葉を額面通りに受け取ってしまうのか、性格が優しいのか、わかんないけど。
いつも顔を真っ赤にして、目に涙をためながら
「うるさい!うるさい!」
と、ばあちゃんに言い返している。わたしが止めに入っても、目を離した隙に、すべてを忘却の彼方に葬り去ったばあちゃんが、また同じことを繰り返す。
戸惑った。
ばあちゃんは、昔、あんなに弟のことを好きでいてくれたんじゃなかったか。よちよち歩きをはじめた弟が、ばあちゃんちのガスストーブの上に乗ってたヤカンをこぼして、お腹に大やけどを負ってしまったとき。
「あたしのせいや、あたしのせいで良太が、だいじな良太が」
と、ぼろぼろに泣いていたのが、ばあちゃんじゃなかったか。
今、目の前で、弟が泣くほどの暴言を吐いているのは。弟がなにもできない役立たずのように決めつけるのは。
あんたは、一体、誰なんだ。
あんなに怒ってるのに、一切、手を出さない弟がすごいと思った。弟よりも先に、犬の堪忍袋(わんわん袋)の緒が切れた。クイックルワイパーでバンバンと床を叩きながら追い回すばあちゃんの尻を、犬がガブリと噛んだ。
「いけ!そこだ!足だ!足を狙え!」
気がつけば、手に汗を握りながら犬の応援をしていた。犬の判定勝ちだった。
ともかく、わたしもしんどかった。
最近、心理カウンセラーの先生から聞いた話だけど、人は三日間寝不足になるだけでメンタルがメタメタになるらしい。たぶんそうなってた。
人に、頼ろう。
この時のわたしは、ばあちゃんが認知症だとは思っていなかった。今思えば明らかに認知症がはじまっていたが、「年をとってばあちゃんの嫌なとこが見えてるだけで、認知症ってのはもっとひどいんだろう」と思っていた。変化が緩やかだったので、見立てがバグった。
介護について、なにも知らない。なにもわからない。
どこに相談したらいいんだろう。
病室の母に「もうばあちゃんのこと、わたしだけではしんどいわ。介護のこととか、人に相談してええ?」と電話した。
電話の向こうで母は
「そうやんね。ほんまに、わたしがせなあかんことやった。自分だけ我慢したらええと思ってたのに……あんたに背負わせてごめん」
と、後悔いっぱいの様子で謝った。
まあ、それは別にいいのだ。こんなことでもなきゃ、一気に進まなかったし。
ひろゆきさんだったか、ひろゆきさんみたいな人だったか、ぶっちゃけ忘れたけど、まあなんかそういう雰囲気の人と、こんなことを話したことがある。
「家族みたいに、ずーっと積み重ねてきた組織内のしんどいことって、解決しづらいんですよ。お互い甘えがあるし、なんとかなってきたっていう実績があるから。人間はなかなか変わらないんですよね」
「そんなあ……どうやったら変えられます?」
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