心が風邪をひいたので、どすこいしんどみ日記
※メンタルが弱っている現在のことです。そんなにどぎつい書き方はしてないと思うんですが、つられてしんどくなってしまう人はご注意ください。
※医師や専門家のお話を交えつつ書いていますが、いち個人の、しかも特殊な職業のわたしの話であることをご了承ください。
最近どうしてる?からはじまったはずの会話が、思わぬところに着地した。
「それ、うつの症状が出始めてると思うよ」
長くカウンセリングをしている知人に言われ、わたしはマヌケ顔でこう思った。
そんなはずなかろう。
うつ病ってのはあれ、もっと大変で、もっと深刻な状況のことを言うんでしょ。だいたい“病”って名前までつくんだもの。
病ったらあれでしょ、元気じゃなくてぐったりしてるんでしょ。
元気なんだもの。
そう、どえらい元気なのだ。
昼までぐっすり寝てるし、ご飯つくってるし、仕事も夜にピャーッとnoteを書いて、週に2、3度ほかの取材やなんやらが入るくらい。
「おっ、なんや!かなり余裕あるやん!」
それで、空いた時間は旅行ついでに、いろんな都道府県での自主サイン会を開催したり、東京で仕事する日を増やしたりしたのは、わたしである。
楽しい。
たぶん人生で今が一番楽しいと、胸をドドンと張って言える。ブラデリスニューヨークでもりもり増量したこの胸を張って。
二年前まではしんどかった。
ベンチャー企業で大学生から、朝9時から終電まで土日も返上して働いていたし、厳しい環境で体も心もズタボロだった。ずっと、しんどい、楽しくない、つらい、と泣いていた。
一年前もやばかった。
母が死ぬかもしれん病気で入院し、ばあちゃんの介護が持ち上がり、じいちゃんが死んだ。洗濯機も壊れた。
その日々を。
「もうあかんわ」と泣きながら笑い話に変えて、愉快な本まで爆誕させた商魂たくましい女がこのわたしだ。気持ちに嘘はない。一周回って、開き直ってた。
あれに比べたら、今なんて余裕のヨッコイショ。
好きなことだけ書き、行きたいところへ旅行し、いろんなところで仕事の人や読者さんたちに温かく歓迎されて、家族もみんな健康なのだ。
昼と晩は自炊してちゃんと食べてるし、一週間に二回もジムで運動している。
こんな恵まれた状況で、わたしがしんどくなるわけがない。
「そうかあ。ほなちょっと気をつけるわ、休むようにする」
心配してくれる知人にもそう答えた。
そっから、たったの一週間ぐらいで。
メンタルが滑り台になった。
大暴落した。
「あれ?おかしいな?なんでやろ?明日になったら治るかな?今日はゆっくり風呂につかって寝よう!」
頭に『???』を浮かべながら毎日を送ってきたのだが、一向にしんどさがなおらない。
というか、仕事でいまも人と会ったりしてるので、その時間だけはハチャメチャに元気なのだ。
オンラインで取材をしてくれた記者さんに
「あの、すみません、もう少しだけゆっくり話してもらえますか?」
と言われた。わたしはもともと早口なので、悪いクセが出てしもうたなと軽く考えていたのだが、いま録音を聞き返すと、かなり異常だった。
ずっと一人で、相手の言葉を耳に入れず、テンション高めに笑いながら一時間でも二時間でも、早口で話し続けているのだ。
ホラーかよ。怖すぎ。
怖いが、喋るのを止める方が怖いのだ。
なぜなら、元気に喋ったあと、信じられないくらい落ち込むので。
腰が痛くて立てなくなる。
糸が切れたように眠る。
ただパソコンの画面をぼーと見てるだけで、意味もなく涙が止まらなくなる。
ひとりになると、道端でもうずくまって動けなくなる。
目が覚めたら、いつも絶望的な気分だ。
起きとうない。
一昨日からは、逃げ場所であった睡眠すら、わけのわからん悪夢を見るようになってしまった。
夢のなかでわたしは、クリスマスパーティをしていた。
みんなの分の餃子を焼くという、大役も大役を担うことになったが、ガスコンロの火がつかない。
このままではサンタさんの到着に間に合わない!
あせったわたしはフライパンを片手に家を出た。玄関を出たらそこは目黒通りで、トラックに容赦なく轢かれた。餃子が道路に散らばる。わたしは痛む体を引きずって、餃子を拾い集め、トラックが急ブレーキを踏んだせいで煙をあげてるタイヤ痕に餃子をひとつずつ乗せた。でも餃子に焼き目がつかない。遠くでサンタのベルの音が聞こえる。悔しくて涙があふれる。
そして起きた。
なんなんだ。
無意味すぎる夢だが、特にメモしなくても今こうやって鮮明に思い出せるのもやばい気がする。ただでさえ貧弱な記憶のメモリを占めてくれるな。
こんなはずじゃない。
こんなの、わたしじゃない。
落ち込むを通り越して、なんだか腹ただしくなってきた。どうなってんだ。
一週間に一度、わたしは所属している事務所の代表であり、編集者でもある佐渡島庸平さんと雑談がてらの定例会議をしている。
念のために言っておくと、佐渡島さんたちは常にわたしのことを気づかってくれていた。
「ちょっと動きすぎだよ」
と止めてくれるのだが、わたしがかまへん!動いてる方が楽や!と余裕ぶっこいて、無理に仕事を詰めてもらっていたのだ。それでもだいぶ裏方でセーブしてくださっていたと思う。
そこでちょっと話してみた。
「こんなにすぐ、うつになるわけないですよね」
「なるよ」
なるの……?
「でもわたし、めっちゃ寝てるんですよ。いやな仕事もしてなくて、趣味の延長みたいな楽しいことばっかしてますよ。一週間に二日はなんもしない日を作って休んでますよ。身体だって疲れてないし」
心配してもらいたいのか、安心させたいのか、どっちつかずの言い訳を並べた。こんなことでだめになるわけない、と自分に言い聞かせることで、なぜかちょっと楽になった。
「脳への負荷がすべてだよ。寝てても、休んでても、脳が疲れてたり、心配ごとが消えてないと、思ったより回復しない」
心配ごと。
思い当たる節がある。
「人は三日間ぐっすり眠れてないだけで、メンタルダウンするから。そこから一週間、二週間で心身が転げ落ちてしまうよ」
三日間で!?
三日なんて、あんたそりゃもう、一瞬じゃないか。
でもこれも、思い当たる節がある。
「メンタルダウンすると、例えば僕なんかは、無性に油分とか糖分がほしくなって、食生活も変わるんだけど」
「一時期、いつ会ってもLチキかファミチキ食ってましたもんね!」
「そうそう。でも、そうなると胃もたれして、眠れない。眠れないともっと気分が沈む。油分と糖分をとって太る。その繰り返しになっちゃったことがあって」
突然だがわたくし、8キロ太ってしまった。
運動しても、炭水化物を減らしても、痩せなくて困っていたところだ。
食生活はほぼ変わっていない自負があったが、無意識に、甘いジュースや揚げ物を間食で食べていた。ちりもつもれば、なんとやら。
昼夜逆転は、一年前からはじまっていた。
もともと深夜2時に寝て、翌朝11時に起きるくらいの夜型で。
家でものを書く仕事だし、静かな夜の方が集中できていいよねえ、くらいに思っていた。なんならクリエイターなんてみんなこんなもんかと。
それが、夜になればなるほど、目が冴えてきて。
眠る時間になっても
「こんなにいま調子がいいのに、寝るなんてもったいないわ!」
とわたしの中のオバチャンが大爆発し、やることなくなったらベッド入りながらゲームしたり、漫画読んだり。
どんどん眠くなる時間がずれていって、最終的に朝6時に寝て、今や昼13時に起きるように。
朝のニュースの『スッキリ』とか、元気に出演してたじゃないですか。あれ、寝てないの。ずっと起きてんの。終わってから寝てんの。
まあ、それでわかりやすい不調って起こらなくて、結局は7時間くらい寝てるんだし、別にいっかと思ってた。
その7時間睡眠のバランスすら崩れたのが、12月はじめのことだ。
ここで話すと長くなるのでいつか語れたらと思うけど、突然、実家に保健所の人がやってきた。
完全なる誤解だったのだが、誰かから通報されたのだ。
荒れた和室のバリアフリー化とリフォーム中で、職人さんが何時間か玄関を開け放していたのだが、そのときに騒音と声が外にもれていたという。
近隣住民に許可はとっていたし、対策もお詫びもすぐにできるので、説明をすると保健所の人はすぐに帰っていったが、会話には放置とか、虐待とか、そういう言葉を聞いてしまった。
言葉がよくわからない弟が、空気を察して、強烈なショックを受けていた。
家族の関係はいたって良好である。ケンカもない。ついに一分前のことを忘れるようになってしまったばあちゃんがちょっと口うるさくて、やいやい言うてるくらいだが、ばあちゃんはすぐ寝る。
リフォームの騒音と混ざって、誤解させてしまった。
これはわたしのせいなのだ。
わたしのつめが甘かった。
玄関は閉じておくべきだった。
ばあちゃんは介護のショートステイに、犬の梅吉はペットホテルに、弟はグループホームに行っていれば、家の中はもっと静かになっていた。
もっと配慮できた。
わたしのせいで、通報されるような心配をかけてしまった。通報する人は悪くない。だって、本当に、心配したか、うんざりしたかなのだから。誰かの命を失うほど手遅れになるよりは、通報したほうがいい。
保健所の人も、もっと本当に急を要する仕事に、行けたはずなのに。その時間を無駄にさせてしまった。
一度のミスなので、これからは気をつけよう。
気持ちを切り替えたらよかったのだが、ちょっとでも物音を立てたら通報されるかもしれないと思うと、申し訳なくて、恐ろしくて、睡眠中に何度も目が覚めた。
実家を離れ、京都の自宅に帰っても、三日ぐらい続いた。
今となってはそれほど深刻でもねえなと思えるただのミスというか誤解なのだが、この三日の睡眠不足と不安が、転げ落ちていくきっかけだったのか。
心のなかにつもっていた、いろんなしんどさが消化しきれなくなり、風邪を引いたみたいになった。
咳をするみたいに、涙が出る。
それが募り募っての、今。
佐渡島さんとの話に戻ろう。
「心と身体の調子は、歯と同じ」
「歯!?」
「そう。あとから、あれはやりすぎだったな、無理したなって、失って後悔しても遅い。いまのうちに仕事、休むか、減らすかしよう」
仕事を休む。減らす。
事務所にお願いすれば、それはもう、すぐさま動いて、フォローをしてくれる。信頼できる人ばかりにわたしは囲まれていた。
だからこそ、即答できなかった。
仕事を休むのは簡単だ。
でも、そのあとはどうなるんだろう。
一度裏切ってしまった人は、わたしのもとに戻ってくれるのだろうか。何ヶ月かかるか、何年かかるかわかんないのに、元気で戻ってきたら誰ももう見向きしてくれない、なんてことにならないのだろうか。
わたし一人が食えない分には、別にいい。わたしには、わたしの稼ぎには、家族3人と1匹分が乗っかっているのだ。わたしがそうさせてくれと頼んだのだ。
「大丈夫です。ちゃんと休むことを意識したらたぶん……」
「岸田さんの頑張りは、すごいと思うよ。でも、“頑張ったらできる”とか“無理したらなんとかなる”っていうのは、もうすでに大丈夫じゃないんだよ」
「ぐうっ」
「心があまりにもしんどいときって、自分で仕事を断れないから、自分を信用しちゃダメなんだよ。岸田さんさえよかったら、安心できるようにこっちで調整しておくから」
悲観的になっている。
仕事や約束を断ると、すべてがダメになって、一人ぼっちになるような感覚に襲われる。未来の見えない恐怖よりは、いま無理をする方がいい。
図星だった。
「じゃあ、待っていただいてる出版社の方々にはせめてお詫びのご挨拶だけでも、年内に……」
「岸田さん」
佐渡島さんが言った。
「1年頑張りすぎて、10年書けなくなったクリエイターを僕たちは何人も知ってる。いま休んで、来年元気になって手伝う方がずっと喜ばれるよ」
10年書けなくなる。
書くことが救いのわたしにとって、恐ろしすぎる言葉だった。
「いま岸田さんのまわりにいる人たちは、岸田さんからお詫びの挨拶がなくても、心身の故障と引き換えに書いた原稿がなくても、これから先もずっと長く、岸田さんと一緒に仕事がしたいと思ってる人たちだよ。その思いを信用しよう」
泣かないようにと我慢していたのだが、ここで涙腺が崩壊してしまった。
ごめんなさいという気持ちと、ありがたいという気持ちが、ねるねるねるねしている。うまい言葉が見つからねえ。だれか造語をつくってくれ。
とはいえ、結局のところ、うつかどうかの診断や治療は、素人のわたしや佐渡島さんに下せるものではないので。
そこは慎重に、事務所でお世話になっている心理カウンセラーの先生とお会いして、ゆっくりと話を聞いてもらうことになった。
この後に及んでも、わたしがnoteを書けるのは。
なんか知らんけど、書けるからである。
原稿の仕事をお断りしてしまった方々には、本当に申し訳ないのだが、なんかここでは好きなだけ、書けるのである。
二年をかけて、安全地帯のような場所になっていた。
むしろ書けば書くほど、「こんなこと考えてたのか」と頭のなかが整理されていくようで、絶望的な気持ちがゆっくりしぼんで、元気になりすぎることもなく、ただただスッキリする。
心がしんどいことを、こんな風におおっぴらに書くことは、もうあかんわ日記以上に躊躇したのだけど。
なにをしたら、しんどくて。
なにをしたら、楽になって。
そういうのを自分のために書いていたいので一連の記録を
どすこいしんどみ日記
として更新していきます。週1とか、それくらいかな。わからん。書かずにいられないときに書きます。
キナリ★マガジンは通常通り、月4本以上は読めるようにしてゆきます。
しんどさに埋もれながらも、どすこい!どすこい!と、心を健康にする稽古をしてゆく岸田奈美を、しばらくよろしくお願いします。
以下、キナリ★マガジン読者さんだけにお伝えしたい内容。お金のこと、仕事のことなどよりデリケートな経緯を含むため、内心に留めていただければ幸いです。
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