深夜、電話にスキマスイッチが出た
10月の終わりのことだ。
「もしもし」
電話に出たら、スキマスイッチに繋がった。
令和のおとぎ話である。
将来、孫に言ってもたぶん信じてもらえない。実際のところ家族には信じてもらえなかった。
夜中に、スマホの着信音が鳴った。
画面を見る。
Oさんだった。
凄まじい審美眼を持ち、漫画や映像作品のプロデュースをしている人だ。
「Vガンダムは全然ヴィクトリーしてないのではないか」などの話で盛り上がったことは何度もあるが、ともに仕事をしたことはない。
「Oさん、どうしたんですか」
「スキマスイッチって知ってるよね?」
「もちろんです」
1991年生まれのわたしの青春は、スキマスイッチとともにあり続けている。
「そのスキマスイッチのコンサートの演出をすることになったんだけど」
「へえ!スキマスイッチって実在したんですね」
なにかにつけ、人生のそばにいつもいるので概念のようになっている。
「いま、彼らが目の前にいるんだけど」
概念じゃなく実在した。
「これいまスピーカーにしてるんだけど」
実在した上に、聴かれてた。
どうして。
混乱するわたしの耳に、声が飛び込んでくる。
「大橋卓弥でーす」
「常田真太郎でーす」
ギャグ……なの……か……?
漫才の出囃子か。そんなアホな話があるわけないだろう。
しかしスピーカーから聞こえてくる声は、どうやってもライブで聞いた声である。親の叱咤より聞いた、あの歌の声なのである。
歓喜より、羞恥が上回ってゆく。心の準備がノーレディすぎる。
「彼らが12月に予定してるコンサートの演出で、岸田に手伝ってもらいたいことがある。来週あたり東京で打ち合わせに来てくれない?」
どうして。
「行きます」
なにをするかも聞いてないが、元気の良い返事だけはした。
仕事だもんな。浮かれちゃだめだよな。そう自分に言い聞かせながら、棚に並んでいる新しい彼らのアルバムをガッサーと袋に詰め込み、実家の母に電話して「車に乗ってた夕風ブレンド、ある!?」と、もうボロボロになってしまった一枚を取り寄せた。
そういやわたし、Oさんにスキマスイッチの曲が好きだって、前にモンブランかなんか食わせてもらいながら、言ったなあ。
好きなもんは好きだって、生きてるうちに言いふらしておくもんだなあ!
東京で打ち合わせがはじまったのは、夜の23時だった。
Augusta Camp(所属事務所:オフィスオーガスタが主催する音楽フェス)の遠い舞台でしか直接見たことがないスキマスイッチのお二人は、当たり前だけど、豆粒よりずっと大きかった。
音楽の形をした概念が、質量をともなって押し寄せてくる。
「お好きなのどうぞ」
Oさんが、飲み物のボトルや缶がしこたま積載されたお盆を差し出す。
「俺はMyコーラがあるので!」
大橋さんがカバンから、ドンッとでかめのペットボトルを出した。それはあれだ、家で寝っ転がってピッツァとか食べながら飲むサイズじゃないのか。
常田さんはお盆に手を伸ばす。
「うわっ!なんか見たことない炭酸がある!これがいい!一本しかないけどもらっていいですか?やったーッ!」
一瞬にして、法事が終わった実家みたいな空気になってしまった。
目の前にいるのは、はしゃいでいる親戚ではなく、スキマスイッチなのだ。気を確かにしないと、この雰囲気で和んでしまう。
飲み物が行き渡り、Oさんが話を切り出した。
「コンサートの演出に漫画を使いたいって相談をいただいたので、この場を設けました」
コンサートの演出に。
漫画……?
「やったことあるんですか?」
「ないんですよ」
大橋さんたちが答える。
「なぜいきなり漫画を……?」
「今年の3月くらいかな。12月22日、武道館があいてるから、スキマスイッチでなにかやらない?ってお話をもらって」
“その日ちょっと武道館あいてるんだけど、どう?”って、新宿の居酒屋の客引きみたいなテンションで声をかけられるなんてことがあるのか。
「あ、じゃあやりましょっか、と」
やるんだ。
声かける方も居酒屋だし、答える方も居酒屋じゃん。
「武道館なのに……」
わたしが驚いていると、大橋さんと常田さんが顔を見合わせた。
「ね、武道館」
「大きな〜玉ねぎ〜の〜」
「し〜た〜で〜♪」
急に、ふたりが爆風スランプを歌い出した。生まれて初めての至近距離で聞いた大橋さんの生歌がまさかの爆風スランプになってしまった。
ボクノートを……聞かせて……。
「あっ、この歌わかります?」
わかるんで、話を続けてください。
「だけど、いつもどおりのライブをやるわけにもいかなくて。ほら、この時期だし」
緊急事態宣言が解除されたとはいえ、世はまだコロナ禍の真っ只中。
音楽コンサートにも、感染予防対策のガイドラインが設けられている。キャパシティに対して観客数の削減が求められ、武道館ではなんと、今までの半分しかお客さんを入れられないそうだ。
当然、チケットやグッズの売上金額も半分になる。
楽曲制作や運営にかかわるスタッフの稼働費を考えると、簡単に赤字を出すわけにはいかない。
悩んだ末に、チケット代を従来より高く設定することになってしまった。
「ふだん高いお金を払って来てもらってるのに、いつも通りの体験で終わるのは、なんか、あんまりじゃないですか」と、大橋さん。
「お客さんは声も出せないし。一日だけの開催だから舞台も大がかりに作れないし。そんな中でも来てくれたお客さんに、思いっきり楽しんでもらいたいなって」と、常田さん。
スキマスイッチはファンクラブの満足度が高いらしい。満足度を越えて幸福感がやばいと、知り合いのデラクサー(ファンクラブ会員の名称)は呟いていた。
お二人の思いからも、伝わってくる。
「会場で歌ってくれるだけでも嬉しい」という予定調和の期待を、なぜか自らハードルを上げ、越えていこうとしている。
「お土産を用意する、っていうのはわりと簡単に思いついたんだけど。それだけじゃ……ねえ?」
大橋さんが「お土産」と言いながらつくったジェスチャーが、完全に風呂敷包みだった。おばあちゃんが持ってくるやつだ。
常田さんが呼応する。
「そしたら卓弥がさ、『俺らも、もうこのトシだし、横の繋がりでなんかできそうじゃないかな?』って」
町内会のお爺ぃみたいなノリである。
志はアーティストなのに、町内会みたいなノリなのである。二丁目の魚屋のせがれがギター始めたっぽいから、今年の夏祭りは盛大にノド自慢大会すっぺ、とか言いかねん。
同席したマネージャーさんは、苦笑いをしながら「ライブでもなんでも、新しいことを思いつくのって、いつもこの二人なんです」と言った。
すると大橋さんが「シンタくんが漫画家さんとの繋がりもあるみたいだし、漫画を使った演出って面白そうだなぁって思いついて、人をたどってたどって、Oさんにたどり着きました」
まとめると。
12月22日(水)at 武道館
スキマスイッチ Live「Soundtrack」で。
スキマスイッチの曲からインスピレーションを受けて漫画をつくる。
その漫画をコンサートの演出に使う。
スマスイッチの音楽が持つ力と、漫画のストーリーが持つ力をあわせて、そこでしか味わえない感動をお土産にしてもらうのだ。
その漫画の原作を、わたしこと岸田奈美が書かせてもらうことになった。
ネーム(漫画の下書き)を作るのは、蒼井アオさん。
ペン入れをするのは、歩さん。
3人まとめて、新人も新人なんだが。
スキマスイッチほど実力も知名度も高いアーティストであれば、もっとレジェンド級の漫画家さんをアサインする方が自然だ。
われわれ新人トリオが、ノコノコと前線に連れてきてもらったのは、理由がある。
一つは、コンサートまであと一ヶ月半を切っていたこと。
2時間以上のライブの演出で使うなら、100ページ以上を書かなければならない。少年誌の月間連載でも約30ページが普通なのに、その3倍。
正気の沙汰ではない。
しかし、原作、ネーム、作画で分業すればあるいは。新人ならではの非力さを逆手に取った、背中寄せ合い連携パワーである。
二つは、Oさんが「まだ創作で名前が売れてないが実力のあるクリエーターを、スキマスイッチの力で舞台に連れていってくれないか」と提案したら、スキマスイッチが快諾してくれたからだ。
「俺たちができないことを、やってくれる三人ですから。力になれるなら、光栄です」
頂上を見たクリエーターが、頂上を目指すクリエーターの腕を引っ張り、舞台へと連れていってくれる。
このときの希望を、たぶんわたしは忘れない。
一週間後の打ち合わせで。
「じゃあ曲をかけながら漫画を映しますね」
Oさんが言った。
「えっ、もう漫画があるんですか!?」
スキマスイッチ陣営が仰天していた。
そうなのだ。
もうあるのだ。
出オチみたいな展開だが、本当なのだ。
わたしもびっくりした。
先週の打ち合わせのあと、Oさんと話して、
「クリスマスも近いし、スキマスイッチの作風にあわせて、恋愛の物語にしよう」「4組くらいの群像劇がいいかな」「最後に伏線が気持ちよく回収される仕掛けも入れよう」
などと言いたい放題の方向性だけ決まり、わたしが原作を書くことになった。
とりあえずパソコンを開き、スキマスイッチの曲を手当たり次第に流していく。
「4組もの恋愛の群像劇なんて、そんなすぐには書けへんがな……」
と、なかば落ち込んでいたのだが。
夏に飲む麦茶のように、スルッスルと書けてしまった。
打ち合わせが終わって6時間後の朝、4組分の漫画原作がわたしの前に爆誕していた。
10代のころから、心身にスキマスイッチという世界観が染みついていたのだ。
スキマスイッチの歌は、いいぞ。
出会いと別れ。
葛藤と振り切り。
迷いと決断。
人のなんてことのない生活の中に生まれる感情が、鮮明に描かれる。
時代は変わり続けても、平凡で、億劫で、格好悪くて、ままならない日々をわたしたちは送っている。
スキマスイッチはずっと、平凡で、億劫で、たまに町内会ノリで、失恋を引きずったりして格好悪い大橋さんと常田さんが、歌い続けてくれている。
見えているはずなのに、見えなくなっているものを、歌い続けることで見せてくれる。
聴けば聴くほどに「これってもしかして、こういう解釈もできるんじゃない?」と自分のなかに軸が生まれ、聴きなおすと曲の印象ががらりと変わる。新しい景色が、目の前に広がりだす。
そんな、ひとつの曲から生まれる無数の景色を伝えたくて。
わたしは、4組のまったく違う視点と葛藤の物語を書いた。
「奏(かなで)」の美しい情景に出てくる改札をモチーフに、人と人がすれ違い、衝突し、それでも一瞬の交錯に希望を馳せる。
聞き慣れたはずの曲への新しい解釈と、身近にいる人たちへの眼差しが少し優しくなるような、幸福な驚きをお客さんたちに持ち帰ってもらいたい。
それが、スキマスイッチのお二人らしいのではないか、と思った。
そしたら、アオさんと歩さんが、爆速で漫画にしてくれたのだ。
あまりの速さと絵の綺麗さに、わたしも試写のスクリーンを見ながら「マジか……うわっ、マジか……」としか言えなかったのだが。
じっとスクリーンを見つめていた大橋さんと常田さんが、口を開いた。
「泣いちゃう」
「泣いちゃうね」
マジか……!
「これ、演奏してるときに泣くわ」
「俺たちはマシンだよ。演奏するマシンだと思うしかない」
常田さんが自分に言い聞かせてるのが、やたらおもしろかった。スキマスイッチを、演奏するマシンにしてしまった。ディストピアで後悔している天才科学者の発想だ。わしは一体、なんてことを……。
「これ、歌が漫画を邪魔しないようにしたいな」
大橋さんが言った。
「一コマも削らずに使いたい。演出は漫画を最優先にしてほしい」
「うん。奏くん(漫画の登場人物)を大切にしてあげたい」
常田さんから登場人物の名前が出たとき、この人たちのなかで、われわれの妄想が呼吸をし始めたみたいで震えた。
大切にしてあげたい。そういう表現を、息を吐くように使ってくれるのか。
「スキマスイッチの演奏を贅沢に使ってほしい!」
新人クリエーターに、ここまで言ってくれるアーティストがいるのか。とても光栄だった。
「お客さんには漫画に集中してもらおう。スクリーン以外は真っ暗でもいいんじゃないかな?」
大橋さんが言った。
全員が「えッッッ???」と出遅れた。
「真っ暗だったら、スキマスイッチが演奏してるのも見えなくないですか?」
「そうだね」
「武道館ですよ!?」
たぶん、人生で一度しかしないツッコミの一種だと思う。武道館ですよ。あなた。武道館なんですよ。
歓喜が一転して、困惑に変わる。
リモートでつながるパソコンの画面の向こうから、あわてて制止がかかった。今回のライブの収録を担当している人だった。
「大橋さん、それはちょっと、さすがに……テレビの生放送もあるし、スキマスイッチのライブなのに、スキマスイッチが全然映らないっていうのは」
「中途半端に俺たちも映すことで、漫画の価値を下げたくないなぁ」
「いやいや……でもそれは」
「それくらいしなきゃ、挑戦した意味がないと思うんですよ」
大橋さんの熱量とこだわりがすごかった。何度も、何度も予定調和を崩して、それでも最高のライブを送り届けてきた職人のそれだった。
「わかるよ!卓弥の気持ちはすっごいわかる!けど、俺だってそれはさすがにダメって言われるのわかるよ!テレビ見てる人は『なんの番組?』ってなるもん。放送中、ずっとテロップ入れるわけにもいかないじゃん」
隣から常田さんがフォローを入れた。
「テロップ?」
「なんか『※ただいまスキマスイッチが歌っています』とか」
放送事故の一歩手前である。
スキマスイッチの二人がこのライブに求めているのは、自分たちの想像の限界すらも越えてゆく、体験したことのない感動の共有なのだとわたしは気づいた。
侃々諤々の議論が続いたあと、Oさんが提案した。
「ライブに来ている5000人も、テレビを見ている数万人も、どちらも大切なお客さんだから、どっちもの満足を狙って丁寧に詰めていきましょう。漫画の邪魔をしないように、合間で二人のパフォーマンスをバチッと映せば、逆に相乗効果で素晴らしい体験になると思うんで」
大橋さんたちの勢いに呑まれたのか、さっきまで反対していたパソコンの向こうのSさんというスタッフから、提案があった。
「いっそ、大橋さんと常田さんも、スクリーンの方向を向いて演出するのはどうですか?」
熱気がこもっていた会議室が、静まった。
「えっ?どういうこと?お客さんに背を向けるってこと?」
「いや、違います」
Sさんは続けた。
「お客さんと同じほうを向くってことです」
大橋さんと常田さんが、一旦目を閉じる。
想像する。
そして、口を開く。
「それを、背を向けるって言うんでは?」
「あっ、そうか」
常田さんが爆笑しながらツッコミを入れ、大橋さんは手を叩いてのけぞって笑っていた。
Sさんのおかげで一気に場が和んだ、最高だ。
なんにしても、絶対にダメだと言われていた演出に、少しばかり乗り気になる人が増えたというのは喜ばしいことなのだ。たぶん。
「漫画の余韻、そのまま持って帰ってほしいな……アンコールやると、途切れちゃうもんなあ……アンコール……どうしよう……」と、大橋さんと常田さんがまた迷いはじめたので、無数の課題は容赦なく「宿題」になった。
漫画という、スキマスイッチの新しいストーリー体験を、お土産にする。
途方もないゴールに向かってチームが動いていく空気が尊い。
今でもまだ、コンサートに向けた制作は続いている。
すべてのプロフェッショナルが、お客さんの体験のために、知恵を絞って全力を尽くし、背水の陣でゆずれない衝突もしている。
「それに、あの時はどうなることかと思った!くらいの経験を共有できてた方が、いい打ち上げになるじゃん。いい打ち上げを想像できたら、いい仕事になるんだよ」
Oさんが言った。
「今回はスキマスイッチの二人が、超自分ごとで考えてくれてるのがありがたいよ。どれだけプロでも、よくわかんない他人に何でもかんでも決められて、本人たちが転んで火傷する経験がアーティストにとって一番つらいと思うから。自分たちで考えて、自分たちで決めるって覚悟で転ぶのとは全然ちがうから」
そうだ。
どれだけライブを重ねても、ヒットソングを歌い続けても、新しいことには常に転ぶリスクがつきまとう。
だけど。
転んだとしてもその先へ、誰も見たことのない景色と感動の共有へ、と執着し、願わなければ走れない。
そういうプロジェクトがはじまる。
ってか、あともう二週間で幕は開けるけども。
今日の今日まで、原作のモノローグを、朝までわたしは考えなおしているけども。
深夜2時だというのに、「喜んでもらえるかなあ、ワクワクするなあ」って、満面の笑みで帰っていったスキマスイッチの二人の姿が目に焼き付いている。
思えば。
わたしの青春時代は、スキマスイッチとともにあった。
高校一年生になり、父が遺した本棚いっぱいのあだち充作品にのめり込んだ結果、球児(しかも投手)に猛烈なアタックをして付き合った年の甲子園球場では「スフィアの羽根」が流れていた。
ダウン症でうまく喋ることのできない弟が、はじめてはっきりと口ずさんだJ-POPは「ボクノート」だった。どこで覚えたんだと母は驚愕したが、それは弟が何度も繰り返し観続けた、ドラえもんの映画から。
それらの曲が入ったアルバムを母は買って、4人から3人になってしまった家族を乗せる車で、何度も何度も、再生しては歌った。
大人でも子どもでもない時期を、駆け抜けるようには生きていたけど、亡き父のこと、病気の母のこと、馴染めない学校のこと、うまくいかない恋愛のこと、すべてに押しつぶされそうになった。「マリンスノウ」の“君のいない海で生きていこうとしたけど、想い出の重さで泳げない”という歌詞にたどりついて、抜け出せない悲しみすら、肯定してもらえた気がして救われた。
人は、10代のときに聴いていた音楽のことを、一生好きでいるらしい。
そんな1991年生まれの、わたしである。
どうか、スキマスイッチとわたしたちの作り出した物語たちを、よろしくお願いします。
漫画は今夜から毎日、毎日1話ずつ、全部で4話をTwitterなどで公開予定です!
詳しくはスキマスイッチの公式Twitterにて!