【キナリ★マガジン更新】叙々苑タイムアタックの夜
食べるのも、話すのも好きだけど、ふたつのことを同時にこなせないので、いわゆる“会食”の場ではムチャクチャになる。
新米ピエロのジャグリングみたいになる。ナイフを持つと、話してることが飛ぶ。話してると、口の中で味が飛ぶ。たすけて。
緊張しすぎて忘れてしまうことが多いけど、緊張する暇すらもなかったせいで忘れられない会食もある。妙な感動が今も尾を引いている。
それが……叙々苑タイムアタックの夜……!
かの有名な小学館には、ドラえもんルーム(押入れつきの6畳間ではない)という場所があり、そこに今本さんという男がいる。
今本さんの印象は、藤子・F・不二雄先生の短編に出てきそうというか、ワケありのおばけに好かれやすそうというか、とにかく絶妙にマンガっぽい作画である。
いろんな作家さんやデザイナーさんと外で会うたび、今本さんが、今本さんが、と名前を聞くので、顔が広くて、印象的な人なのだ。
仕事とはぜんぜん関係のない、創作の展示会にわざわざ足を運び、机の上の本をぜんぶ買って帰ったなどという逸話もあった。
わたしのような無礼者のことも、今本さんは気にかけてくださり「岸田奈美はドラえもんが好きである」ということを覚えてくださっていて、
このように新作が出るたび、
「ドラえもんの第1巻が発売されたのは、50年前の7月25日なので、岸田さんの誕生日と同じなんですよ」
という思いやりに満ちた情報とともに、贈ってくれた。泣いちゃう。
『藤子・F・不二雄 生誕90周年 企画発表会』にお邪魔して、レポートを書くという夢のようなお仕事も、今本さんのはからいで、ご一緒させてもらった。
いつかご飯でもと話していたら、今本さんは本当にサッと一席設けてくれた。話が早い。早すぎる。
その日は夜まで、小学館のイベントに参加していたので、終わり次第、集まることになった。
参加者は、わたし、編集者さん、マネージャーさん、今本さんの4名。仕切りはすべて、今本さんに任せっぱなしだった。
後ろをぞろぞろ着いていき、立ち止まった店の前で、唖然とした。
「こ……ここは……」
叙々苑。
名前だけは、名前だけは聞いたことがある。東京といえば、焼き肉といえば、高級といえば、叙々苑。
失礼ながら、その辺の居酒屋かなんかだと、思い込んでいた。下北沢の小劇場近くの居酒屋でくだでも巻きながら話すもんだと、思い込んでいた。
叙々苑。
わたしが以前、今本さんから好物を聞かれて、
「お肉が好きですねえ」
えらそうにほざいたのを、覚えてくれていたらしい。なんという、できる人。そう、今本さんは仕事ができる人。編集者さんの中でも評判のいい、とにかく仕事ができる人。
仕事出木杉君。
しかも、ここは、ただの叙々苑ではない!
恵比寿の叙々苑である。
高層階、夜景、鏡張り。
トレンディのすべてが、ここにある。
わたしは気づいた。
これって……接待って……やつでは……?
わたしは錯覚した。
もしかして……わたし……大作家なのでは……?
己の中のトレンディ・キャパシティが飽和し、身に余るロケーションに脳が混乱をきたし、快楽物質がダム放流のごとく分泌された。接待などされたこともなければ、当然、大作家であるわけもない。
だけど一瞬で、「先生!どうぞどうぞ!」ともてはやされながら、もみ手で新作をねだってもらえる風景が、一瞬で脳裏に浮かぶ。
気をつけろ。叙々苑は幻術を使う。
ゲへ。ゲヘヘへッ。
「さっ、岸田さん、急ぎましょう」
下品にほくそ笑んでいるわたしに、今本さんが告げた。
「30分しかないので」
なんて?
叙々苑の幻覚によりヨダレを垂らしていたわたしは、忘れていた。そうだ。わたしったら、このあと、東京から神戸へ帰るんだった。
最終の新幹線で。
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