【キナリ★マガジン更新】栃木はバスの運転士さんすらもでっかい声でふしぎな会話をしている
東京のホテルが狭くて高くて悔しいので、栃木に泊まった女です。栃木の手の平で転がされすぎて、やっと最終回まできました。
カフェで我慢しすぎたせいで、汗かいてきた。
温泉にでも入りてえな……。
いやいや、なに言ってんだ、今日は東京に戻らないと。
新幹線が来るまであと20分もあった。うっとりするほどいい天気なので、駅前のベンチにデロンと座りながら待った。
「こーんにーちはー、いい天気ですねえ!」
えっ?
ドサッ。わたしの尻のすぐ隣に、重たそうな荷物が置かれた。制服に身を包んだ、バスの運転士さんだった。
運転士さんって、この距離で喋りかけてくんの?
「次のバスに乗られますか?」
「いえ、新幹線で東京へ……」
「そうですかあー」
ロータリーの向こうから、バスが走ってきた。行き先は那須塩原温泉。観光帰りであろうお客さんが続々と降りたかと思うと、運転席からもうひとり、別の運転士さんが降りてきた。
50代ぐらいのベテラン運転士さんがふたり、でっかい、それはそれはでっかい声で、おしゃべりを始めたのだった。
「今日はあったかいんだねえ」
「ねえ。あそこの葉っぱ、出るのが早いもんよ!」
「暖房がほら、あのへんは、アツアツになってっから」
「なーるほどー」
独特の間のおしゃべり。口だけかと思いきや、目と手もちゃんと動いていて、今度はバスに乗りこむお客さんを整理していた。
「じゃ、交代だ」
ベンチに荷物を置いていた方の運転士さんが乗り込んで、すぐに、素っ頓狂な叫びが聞こえた。
「あーれー?マイクが入んないよお!」
運転席のマイクをポンポンと叩いている。
「ありゃりゃ!降車ボタンの音も出てないわ!」
あわてて、交代しかけた運転士さんも応援に駆けつける。
「なんだってー!じゃあ、おれってば、アナウンスなしでここまで来ちゃったんかい?」
「うっそー!?」
ベテランがふたりそろって、あわあわし始めた。
最初はバスの故障に緊張が張り詰めたが、あまりの素直すぎる反応に、乗客からは「ふふっ……」と、含み笑いが聞こえる。
「あっちゃあ……だーめだコリャ。会社にはぼくが言っておくから!」
運転席のボタンをいじくり回していた運転士さんが、肩をすくめた。もちょっと焦りながら、お客さんに向かって、口を開いた。
「皆さあん!マイクが壊れちまったんでえ、降りる時はこう、ワーッと叫んでくださあい!ご協力お願いしますー!」
ドッと笑いが起きた。
一番前の席に座っている、やたらに地味な花束を抱えたおばあさんが、アッと声をあげた。
「あんだたち、これ、線、抜けでるよ!」
指差す先には、マイクの途切れたケーブルがあった。
「うっそお!じゃっ、おれが降りる時に引っ掛けたのかあ!」
運転士さんがつなぎ直して、
「あー、あー、あー」
アナウンスが鳴った。さらにドッと笑いに包まれた。戻ってきた交代の運転士さんがホッとして、彼の背中を叩きながら、
「よかったなあ!じゃあ、今日も気をつけて、がんばってねえ!」
降りて、手を振っていた。
びっくりした。
お客さんに「ごめんなさい」とか「お待たせしました」とか言うのかと思っていたら、運転士さんが運転士さんに「気をつけて、がんばってねえ!」と言うなんて思わなかった。
でも、毎日言ってるんだろうな。何気ない会話を、こんなに大きな声量で、この人たちは、毎日。仲間を当たり前のように応援している。
そしたら、運転席にいる運転士さんは、うなずいて、
「みなさんすみません!ぼくのミスで、3分間遅れてます!」
マイクで詫びた。
待ちに待った温泉地行きのバスが遅れたのに、機嫌の悪そうな乗客はひとりもいない。誰も彼もあったかみで満ちている。
運転士から運転士さんに、そして運転士さんから乗客に、心づかいの連鎖が起きているからだ。こういう連鎖は気づいた人だけに、格別の喜びをもたらす。
「このバスは那須塩原温泉行きです、お降りの方はボタンを押して……」
あれだけ自由にしゃべっていた運転士さんが、急に機械的な言葉づかいになったが、さっきの会話で人柄を知っているので、何もかもが人間くさく聞こえてくる。次に何を喋るのかを期待しちゃう。
急カーブも、ブレーキも、ぜんぶ「がんばれー!がんばれー!」と心の中で唱えたくなった。
終点の那須塩原温泉に着くまでに、途中の駅で降りるグループがいた。
「あ、ちょっと」
運転士さんが彼女たちを呼び止めた。
「吊り橋渡って、振り返るとね、滝がありますから。振り返って見るのがね、いちばんきれいですよ」
「あ……ありがとうございます……」
「いってらっしゃーい」
急に声をかけられて、恥ずかしそうにしていたグループが降りていって、バスの扉が閉じた。
「ああー!今日は天気がよくて良かったねえ」
運転士さんが、おおきな独り言をいった。もはやマイクなしでも聞こえる。
信号待ちの間、運転士さんはおばあさんに、ミラー越しに話しかけていた。
「いまから仕事行くの?」
「いんや。今日はねえ、お買い物」
「もうお米売ってっかなあ?」
「まだ売ってなかったかもよお」
全バス内に聞かせていくスタイルの井戸端話。自由だ。もうなんでもやってくれ。天然のラジオである。
さて。
お気づきでしょうか?
わたしがバスに乗っていることを……。(叙述トリック)
怖いよね。東京へ戻る新幹線に乗るつもりだったのに。わたしもね、これ、怪談だと思ってるんですけど。
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